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この章ではストーリーに進展はない。ゆえに,先を急ぐ読者は飛ばしてほしい。

大樹の報告書を代筆してくれるあてもないまま,アルジは書庫を訪れた。クビワの症状に似たものがないか探すためである。

書庫には先客の気配があった。この香りは。

「ケライ」そうアルジが呼びかけると,ケライが顔を上げ,すぐに視線を戻して筆記の作業に戻った。利き手の包帯は相変わらずで,使いものにならない。ゆえに,慣れない手でペンを持ち,ゆっくり文字を書いている。

だがまもなく,ケライは顔を上げると,椅子を立ってアルジの元に寄ってきた。

「また顔ケガしたんですか。ここ腫れてますけど」そう言いながら顔をジロジロ眺めると,傷口を見るため頬に優しく触れる。昨日とは違う柄のハンカチを取り出して,口元の乾いた血を拭った。

「ありがとう。ケライ,今日シッショさんとボッチさんに会った?」「はい。部屋から出てきたところで話しました」「そうか…」

「誰に殴られたんですか。オヤブンさんに報告しなければ」「いや,もう解決したから。心配しなくていいよ」「心配はしていません。口,開けてください」

言われるままに口を開けると,アルジのアゴに指をあてて,顔を近づけながら目を凝らす。

「結構切れてますね」「うん」「医務室行ったほうがいいのでは。熱もあるかもしれません。顔が赤いです」「大丈夫だよ」「頬にヒビが入っていないか確かめないと」「ありがとう。大丈夫だから。それより知りたいことがあって」

ケライはアルジから手を離した。「知りたいこと。」「クビワの症状に似たものがないか調べに来たんだ。大樹の報告書が書けないから,暇潰しというわけではないけど」

「そうですか。私は仕事があるのでお手伝いできませんが」「大丈夫。一人でやるつもりだったから」「文字読めるようになったんですか」「医学の本なら図が多いから,それらしいものが見つかったら誰かに読んでもらうよ」「はい」アルジの話を受け,ケライは席に戻った。

「ここで本は積んでないんだ」机の上を眺め,アルジが問う。「本を積むのは忙しいフリをするためです」

そうだったのか。「じゃあいつもここで仕事すればいいのに」「静かすぎると捗りません」「なら今日は?」「今日は,と言いますと」「どうして今日はここで仕事してるの?」「私の腕を他の方が心配して話しかけてくるのが邪魔です」

「ごめん。私も仕事の邪魔はしないようにするよ」「そうしてください」

ケライは中断した作業を思い出すようにひとつ溜め息をつくと,再び作業に戻った。

アルジも書物をいくつか腕に抱え,机に置くと,ページをめくり始めた。



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