174

時間を置かず,白い球から大きな塊が飛び出してきた。そのままゴロゴロと転がってゆく。

「アルジ!」

一人ではない。その背中にしがみついているのは…マッパだ。すぐに何者かの気配に顔を上げる。

「ボッチか」その声は届かない。轟音が部屋を支配しているからだ。全てを破壊する叫びだ。

マッパはボッチが駆け寄るのをはねのけ,音源に向かった。鉄球の鎖が埋まったままの,極彩色の壁。そこに拳を何度も打ちつけ,壁を抉る。掘る。掻き出す。めくる。きらきらと光る粉が舞い,やがて黄色い飛沫があがりはじめた。次第に音が弱まり,ついに止んだ。立ちつくすボッチを尻目に,すぐさまマッパは向かいの壁に向かい,同じように穴を空ける勢いで拳を振った。今までの鬱憤を晴らすがごとく。


砕けた壁。しおれてシーツのように中央を覆う白い膜。虹色の粉が部屋中に散り,光の粒がふりそそぐ。それはあたかも勝利を称える金色の紙吹雪だった。

動けずにいる仰向けのままのアルジをマッパがひっくり返す。閉じられた瞳と,鼻,そして,耳から血が流れている。鎖を巻き取らないまま飛び込んだ影響か,その残された腕は奇妙に歪み,義足は脱出の際に破片が直撃したのか折れ曲がって煙をあげている。だが奇跡的に胴体や頭部に大きなケガはなかった。

「生きてるのか」ボッチがのぞきこんで尋ねる。「ああ。俺がかばったからな」

そう返事するマッパはさすが人外の頑丈さか,全身に無数のあざができ,痛々しく腫れあがっているものの,あの膜の中にあってなおその身体を保っていた。

それに対してボッチは。「おい,その指」マッパの指摘にあわてて両手を後ろに隠す。その爪は剥がれ,骨が見えるほど指先がボロボロになっていた。切り裂いた膜を両手で開けたままにしておいた代償だった。それは普通の人間が中に入っていたらどうなるかを示していた。

マッパはあきれたような顔で,それでいて口の端が上がるのを抑えきれなかった。そして全員の無事,アルジは無事とはいえないが,を確かめると当然の疑問がわいた。

「どうやって穴を開けたんだ」その問いにボッチは背中に差していた武器を構えて見せる。戈。そのピッケル状の刃先は,この北の大陸にあって,大型のモンスター相手にはあまりに無力だった。だが,そんな役立たずの武器は,どんな打撃にもびくともしない白い膜を容易に切り裂き,ここに来てマッパを救うことになったのである。


「みんな…だいじょぶ?」

部屋の外から何かがはいずってくる。シンキだ。鎧と盾を身につけていないところからすると,ボッチが運んできたようだ。ただ,中の様子,そして三人を見て,とてもつらそうな,無念そうな顔をしている。

「ごめんね…あたしが…ちゃんとしてれば,こんなことには」そう言って涙を浮かべる。「お前のせいじゃない」ボッチが駆け寄って肩を貸し,アルジとマッパの元に運んだ。だが,自分の不甲斐なさがあまりに情けないのか,顔を伏せたまま誰にも目を合わせようとしない。わずかに腕をのばし,うまく動かない手の甲でアルジの頬をなでるだけだ。

すると,アルジが急に目を開いた。「アルジさん」「アルジ」

その斑の入ったような瞳は焦点が合わずに震え,自在に動かせないようだ。「アルジさん,しっかり」シンキが何度も呼びかける。だが反応がない。「まだ騒音に頭をやられているのかもしれない。無理に動かさないほうがいい」ボッチがわずかな知識をふりしぼり,安静を促す。「でも,このままじゃアルジさん死んじゃう」

「すぐに脱出する。ボッチ,お前はシンキを背負え。俺はアルジを背負う」言うが早いか,マッパはアルジを背負って出口に向かって歩きはじめた。そして「待て。今動かすのは」というボッチの言葉を打ち消すように「ここにいたら助からない」と告げた。

やむを得ずボッチがシンキを背負おうとすると,マッパが急に立ち止まった。

「何だ」マッパが顔をかたむける。「どうした」ボッチが聞くと,マッパは背中を向けたまま,人差し指を立ててこちらに向けた。黙るように,というジェスチャーだ。

「言いたいことがあるのか」なおもマッパが小さい声で言う。アルジが何かを話そうとしているのだ。

「アルジ。聞こえている。言いたいことがあるなら言え」

「す…」「す?」「しろいすを…」「しろいす?」アルジは自分の言葉も聞こえていないのか,アゴが外れたような話し方になっている。だがマッパは必死に聞きとろうとする。

す。しろいす。その言葉からボッチは閃いた。「白い巣,あの白い布みたいなものじゃないか?」そうボッチが指差す。つい先ほどまでマッパを閉じこめていた白い膜。極細の糸が縦横に張りめぐらされ光沢を放つ様子は,確かに巣のようではある。マッパは振り向いてうなずいた。

「白い巣が何だ。白い巣をどうするんだ」

「しろい…すを…ひろって…」



(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).

cc by-nc-sa