026
「ずいぶん遅くなっちゃったな」シッショとクビワは両手に花を抱え,戻ってきた。三人分の量に加え,里の皆に配る分も収穫していたため時間がかかったのだ。この花はビタミンが豊富で,干して食せばより香りが増す。シンキが特に気に入っていたものだった。
だが洞窟が近づくにつれ,クビワが足を止める。険しい顔で鼻をすんすん鳴らした。「ちのにおいだ。だれかいる」「何だって。誰かって,ケライ以外の誰かか?」「うん」
二人は急いで洞窟に向かった。
「よう」
洞窟内のキャンプには,血まみれでマスクを当てられ横たわるケライと,その隣に全裸の人物が腰かけていた。
「全裸じゃない」失礼した。正確には手袋と靴,ピアスを身につけている。その語り手への指摘は,シッショ自身へ先回りした言葉と受け取っていただきたい。
「マッパさん」シッショが驚いた様子で言った。
「ケライしんだのか?」クビワが聞くと,「まだ生きてる」と,苛立った様子でマッパが答える。
シッショは血まみれのケライとマッパの姿を見比べ,状況を把握したようだった。そして「マッパさんがケライを助けてくれたんだね。でも一体誰が」と,感謝の言葉とともにケライを傷つけた犯人を問う。
マッパはシッショに向けていた目をケライに落とすと,問いには答えず「軽い止血はした。主要な臓器も修復不能なほどには傷ついていないようにみえる。だが肺に穴が開いている。失血もひどい。すぐに里で手当てする必要がある」とケライが危険な状態であることを伝えた。
「じゃあすぐに運ばないと」「獣車では手遅れになるかもしれん。ビュンを呼べれば間に合う」ビュンは里で飼われている大型の鳥で,小柄な人であれば運ぶことができる。本来はキセイのペットである。
「だが」そう言ってマッパはシッショをにらんだ。「失態だったな。ここからじゃ信号弾を打っても里に届かない」
そのとおりだった。洞窟からは高い崖がそびえ,その先がそりたっているため信号弾がはじかれてしまうのだ。かといって平地まで降りてしまうと,今度は高さが足りない。調査計画のミスだった。
「すまない。僕の責任だ」謝るシッショの前にクビワが立つ。「シッショいじめるな。いじめるやつはころす」
マッパも退かない。「こいつを見殺しにしたいなら,いくらでも受けてたってやる」「いや,僕が悪いんだ。クビワも落ち着いて。早くケライを助けないと」
「ケライはいきてるんじゃないのか?」クビワはきょとんとした様子でマッパに言った。「今はな。だが里へすぐに運ぶ必要がある」「なげてとどかないのか?」「おいシッショ。このバカになんとか言ってやれ」「バカとはなんだブス」「なんだと」
「二人ともお願いだから喧嘩はやめてくれ」シッショが強い調子で言う。
「クビワ。ケライはまだ生きてる。でも里に急いで運ばないと死ぬかもしれないんだ」「さとまでなげればいいんじゃないのか?」「駄目だ。崖が高すぎる」「たかくない」
マッパとシッショが顔を見合わせる。「高くないって,どういうこと?」「たかくないはたかくないだ」翻訳が必要だ。「クビワ,崖の上まで投げられると言ってるの?」「あれよりたかくはなげられない。のぼればなげられる」
マッパがあきれたように言う。「登れないから困ってるんだろうが」「のぼれるぞ」
!!
「クビワ,あの崖を登れるの?」
クビワがうなずいてから言う。「く,くい,くぎ?」「杭?崖に刺す足場のこと?」「そう。それがあればのぼれる」
その言葉にシッショはキャンプの隅に飛び込み,雑多な用具のなかから布の袋を取り出した。矢じりの束だ。
「これで大丈夫?」シッショから受け取った袋の中身を見て,クビワは再びうなずいた。
「ヒモは要るか」マッパが聞く。「いらない。どうせおちたらしぬ」そう言ってクビワはビュンを呼ぶための信号弾を受けとると,胸に差し,袋を肩にかけた。
「それじゃあ,崖の上まで登ったら,信号弾を打って,ビュンが来たらエサを崖下に投げて。いい?」「まかせろ」
そう言ってクビワは崖を登りはじめた。壁につきたてた矢じりに足をひっかけ,上がったところで再度新たな矢じりをつきたてる。切り立った崖をジョギングするかのように,すさまじいスピードで登ってゆく。だが矢じりは登るそばからポロポロこぼれ落ちる。崖下にいては危険だ。言い換えれば,そのリズムが崩れればクビワを支えるものはない。もしそうなったら待ち受けるのは抗えない重力と身体を粉微塵にする硬い大地である。
シッショは離れたところからひたすらクビワの無事と,矢じりの本数が頂上まで足りることを祈った。もしここでクビワまで失ってしまったら。その一方で,マッパは感心するように言った。「すごいな。あいつ本当に人間か?」
日が再び大きくなり,風が吹き出す。クビワの姿はかなり小さくなっている。「まずいな。態勢を崩したら落ちるぞ」そんな不吉なことは言わないでくれ。シッショは悲痛な気持ちで祈った。
やがてそりたつ壁をものともせず,クビワの姿が消えた。そして,紅白の信号弾が天に昇るのが見えた。
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).