081
鎖骨の下からにじむ血を拭うこともできず,アルジは棒立ちの相手を見た。
なぜこいつは動かない?こちらは手負いなのに。トドメをさすチャンスではないか。いや,こいつは読んでいる。大技の後に隙が生まれるのを活かし,アルジが反撃に転じるのを読んでいる。
ここでこいつが無闇に攻撃する必要はない。相手が動かないのであれば,そのまま失血死するのを待てばよいのだから。離れたところから獲物が力尽きるのを待つハゲタカのように。
狩られている。自分が。こんな生物がいるのか。この地の捕食者は,確実に獲物を仕留めるべく,絶対の必殺を持っていた。雪灯籠しかり,裂掌獣,雷掌獣しかり。だがこいつの外見はそうした必殺に由来する特徴はない。擬餌をもつわけでもなければ発達した腕があるわけでもない。
代わりにこいつが獲得したのは,戦いにおける絶対の直感。未来予知にも迫るほどの圧倒的な知能。こいつが四六時中エサを求めるのも,その知能を維持するために膨大なエネルギーが必要だからだろう。
ただ脚のでかい鳥ではない。こいつは狡猾に獲物に迫り,あらゆる攻撃を舞うように対処する。そうだ。こいつの名は,巨脚鳥グリュンプリドあらため,狡舞鳥 (こうぶちょう) グリュンプリド。この期に及んでなおアルジの脳裏には報告書の規則が浮かんだ。
もはや激痛で鎖を振り回すことはできない。痛みをかばってしまう。そんな勢いの死んだ鉄球が当たるわけがない。もしこちらから仕掛けるならば,相手どころかこちらも読み切れない状況を作るしかない。アルジは姿勢を低く構えた。
ドンッ
義足の噴射で,アルジは瞬時に相手の足元に迫った。当然ながら狡舞鳥はかわす姿勢をみせる。だがそれは囮。アルジの身体をわずかに遅れて追ってくる鎖は相手の逆の足を狙っている。よけるために足を上げ,体重をかけたもう一方の足。高速で鎖が巻きつき,一気にへしおる。場合によってはひきちぎる。当然アルジの傷ついた腕には想像を絶する苦痛があるだろう。だが,その意思とは関係なく,この強敵を打ち破れるのだ。
だが,何かの破裂するようないやな音とともに,アルジの身体は狡舞鳥のはるか斜め後ろに蹴り飛ばされていた。
蹴り飛ばす?
狡舞鳥が足を上げたのはアルジをかわすためではない。猫が後ろ足で砂をかけるように,アルジを後方にふっ飛ばすためだった。前方に蹴ろうとすればアルジの頭を消し飛ばせるかもしれないが,速度の乗った頭蓋骨を蹴れば足を負傷するかもしれない。相手の速度をそのまま活かして斜め後方に追いやってしまえば,一方的にダメージを与えるだけでなく,鎖も追うように狡舞鳥の足元を抜ける。
いかに速かろうが直線の軌道では読まれやすい。その侮りが大きな仇となった。
赤い跡を引きながら,ゴロゴロと地面を転がり,そのなかで鎖も,義足も外れ,あさっての方に散った。まるで無能なアルジに愛想をつかしたようだった。
やがて惰力も失われ,ぐったりとその身体は停止した。もはや生きていても何の抵抗もできない,無力な肉でしかない。
大した相手ではなかったな。そんな様子で狡舞鳥は悠然とアルジの元へ向かい,一息に食事を終えようとクチバシを開いた。
バツン。
だが狡舞鳥の口には何の歯ごたえもなかった。獲物は不規則に宙を舞う。まるで糸にぶらさがっているようだった。
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).