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俺の命の価値は俺が決める。

湿原のキャンプにたどりついたマッパたち一行は,早々にそこを引き払い,里に迫る危機を伝えるべく雪山の道を登っていた。すると,坂を下ってとぼとぼと歩いてくる義足の人間の姿が見える。

「アルジ」マッパの威勢の良い声が聞こえる。上の空だったアルジは我を取り戻し,思わず隠れようとしてしまう。あんな啖呵をきって里を飛び出しておきながら,どうマッパたちに顔向けすればいいのか。とりあえず顔を拭い,平静を装う。

「アルジ!」クビワが走って抱きついてきた。身体は熱を帯び,頬ずりするその目は半開きである。とても眠そうだ。アルジは自分の立場も忘れ,「おかえり。早く里に戻って寝たほうがいいよ」と優しく言った。

「こんな時間にどうしたの」シッショがクビワの後ろから聞いてくる。「いえ,その」言い訳を思いつく前にシッショはニヤっとした顔で言った。「また逃げたの?」その言葉にアルジは目をそらす。「にげた?オヤブンにしかられたのか?」「いえ,そういうわけじゃないですけど…それよりもシッショさん,その目」「ああ,名誉の負傷みたいなもんだよ」「すぐに手当てを」

三人の様子を見ていたマッパは,隣でダモスに乗るキセイに何かを言い,コッコらと共に先に里へ向かわせた。元よりそのつもりだったようだ。ウジウジするアルジを軽く見やり,キセイはそのまま行ってしまう。

「お前がどんな状態か知らんが,そんなことに構っていられる時間はない。緊急事態だ」そう話しながらマッパはクビワを抱きかかえるアルジのもとへやってきた。

「緊急事態?」ずり落ちるクビワを持ち直し,アルジはマッパを見る。「だから皆さん手ぶらなんですか」「そうだ。なんとか獣車の動力は守れたが,荷車どころか拠点も木っ端微塵だ」動力とはダモスをさす比喩である。マッパの言葉にアルジの眉が動く。「拠点も?何があったんですか。敵襲ですか」

アルジの瞳が輝きを取り戻してゆく。「そうだ。放っておけば里も食われるだろう。すぐに戻らなければならん」「シッショさんもそいつにやられたんですか」「いや,僕のケガは別の敵にやられたものだよ」

シッショが別の敵,と言ったので,アルジはさらに好奇心がかきたてられる。だがこんなことをしている暇はない。マッパが話を切り上げようと「こんなところで話してても時間の無駄だ。今すぐ里に帰るぞ」と言った。

「いえ,私は…」マッパの急かす様子にアルジがまごつく。まだ心の切り替えができていない。マッパが急かす。「クビワを里で寝かせてやらないのか」「え」

見ると,クビワはアルジに抱かれたまま寝息をたてている。よほど疲れたのだろう。片腕の使えないシッショには預けられないし,マッパはアルジを里に返すために受け取りを拒否するに違いない。しばし目を泳がせていたが,アルジは観念して里へ帰ることにした。

マッパはアルジが里でまたトラブルを起こしたのだろうとうんざりしていたが,それで放っておくつもりはなかった。アルジがどんな面倒な人間かは知らないが,『あれ』に対処するには不可欠なのだ。


アルジが出ていった後,疲れていたボッチはそのまま横になって眠っていた。明日も力仕事があるし,起きている限りはアルジへの怒りが静まらないからだ。シンキもボッチの邪魔をしないよう自分のテントへ戻っていた。そうしてミミも待ち疲れて眠る頃,獣が地面を揺らす響きと,その足音に起こされた。それは意図的なものか定かではないが,キセイがダモスやコッコらとともに帰還したのだ。間もなくマッパらとともにアルジも里に帰ってくる。

テントから出てきたボッチたちはキセイが無事に帰ってきたことを喜び,そしてマッパたちを救出したことを賞賛した。キセイはそれを照れる様子もなく,大きなあくびをして獣舎へ向かった。その大きなダモスの影に隠れるように立っていたのがアルジである。

ボッチと目が合った。と,そちらに身体を向け,アルジは大きく頭を下げた。

「すみませんでした」

「…」

寝ぼけまなこのボッチは大きくため息をつく。ミミとシンキはアルジが正気に戻ったのを安心すると,おかえりなさい,と労いの言葉をかけ,クビワを寝かせるよう促した。

「こいつの頭の悪さはなんとかならないのか」ボッチがアルジに聞こえないようシンキに愚痴り,すぐに小突かれる。アルジの管理はケライに一任されている。アルジを更生するよう依頼しておかなくては。



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