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マッパら三人は照明の助けも借りず,平然と洞窟のなかを進んでいた。狭い通路だが,硬く変質した石灰質の壁が崩落を防いでいる。そして外の悪臭が嘘のように,中はきれいな空気で満たされていた。おだやかな風の流れを感じる。どこからか空気を取り入れ,自然対流を利用して排出しているのかもしれない。
入口の光はとうに消え,手元さえ見えない暗闇である。おそらくマッパは内部構造を知りつくしているのだろうが,残る二人はどうやっているのか。シッショは瞳孔を文字通り目一杯開き,マッパの後ろ姿を捉える。一方クビワは音だけで周囲の状況を把握できるようだった。
何のためにこんな道を歩いているのか。なぜマッパは自分の素性を隠していたのか。おそらく隠していはいない。聞かれなかったからだ。昔のことを。その奇抜な外見が,過去を知りたいと思わなくさせてしまう。気にせずつっこむのはケライくらいだろう。
だがシッショが聞きたいことは山ほどあった。血の嵐について,観測省はどこまで知っているのか。シッショは北の大陸が血の嵐に閉ざされている頃,西方の任務にあたっていた。だから何が起きていたのかほとんど知らない。シッショだけじゃない。南の人々もそうだろうし,オヤブンの雰囲気からしても何か情報が伝わっているようには見えない。ごく一部の竜人は知っているのかもしれないが。
観測省の者が北の大陸に入っていたのなら,なぜ情報を南へ持ち帰らなかったのか。いや,持ち帰ったのかもしれない。ではなぜ書庫に残したのか。もしくは廃棄しきれなかったのか。マッパの進む先にそれらの答えがあるのだろうか。
シッショは心のなかでもう一人のマッパと会話をした。この先に何があるのか。着けばわかる。血の嵐とは何だったのか。興味本位で聞くようなもんじゃない。
どうすれば知りたい応えを引き出せるのか,シッショは考えた。
「書庫で観測省の記録を見つけたよ」シッショはマッパに聞こえるよう言った。クビワの腹の虫くらいしか音がなかったものだから,その声はかなり響いたように聞こえた。
「そうか」マッパはとくに驚いたふうでもなかった。発見されることは織り込み済みか。そうかもしれない。北の大陸にかんする地理,植生などの情報はあっても,核心,すなわち血の嵐についての記述はなかったからだ。もし全てが書かれていたのなら,シッショはマッパが観測省の一員であったことを驚くこともなかっただろう。
「マッパさんはクビワの兄さんについて何か知ってるの?」その言葉に,ふっとクビワの様子が変わるのを感じる。
マッパは即答せず,やや時間をおいて答えた。「俺は知らない」「俺は?知っている人がいるの?」「そうかもしれんな」「ごまかさないでよ」「ごまかしてなどいない。俺は知らないと言っただけだ」
シッショはマッパの態度に苛だった。「僕とクビワが湿地の調査に行っていたら,クビワの家族に会えるかもしれなかったんだ。ずっと一人だったクビワの,かけがえのない家族に。その手がかりを後回しにしてまでマッパさんの調査に付き合ってるんだ。ここまで来て隠し事なんかしないでほしい。知っていることを教えてよ,マッパさん」
隠していない。マッパは本当に知らないのだ。だがマッパが何かを言わないかぎり,シッショはこれからもことあるごとにマッパの素性を聞き,そして北の大陸で何があったのか知りたがるだろう。そんな鬱陶しいことになるのはごめんだ。ここで断ち切る。
マッパは急に立ち止まった。そしておそらく背後に立っているであろうシッショを振り返って言った。
「そんなに知りたいのか。じゃあ教えてやる。お前らがこれまで雪だと思って見てきたもの,あれは,この地で殺された人間の灰だ」
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