157
里に帰ってきたアルジたちは,追いてけぼりをくらったクビワからの手痛い歓迎を受けた。骨がミシミシと音をたてるほどの強さで二人とも抱きしめられる。ふてくされたクビワの気をそらし,同時にアルジの汚れを洗い流すため,遠慮するアルジを引きつれ三人で風呂に入ることにした。
湯治場は壊れているので,ポンプで汲み出した湯をそのまま互いにかけるように浴びる。溜まった疲れも抜けていくような心地良さだ。だが「お前ら目隠しくらいしろ!」と真っ赤な顔でボッチが叫ぶ。広場で覆いもせず身体を洗っているのだから当然だろう。マッパを見るのは平気なのに,慣れとは恐ろしいものである。
なかば無理矢理とはいえ,全身をクビワに洗われたアルジは頭の中まですっきりしたような爽快感に満たされていた。全身の血行が良くなると,心持ちまで変わるのだろうか。これが里の危機のなかでなければ陽気な気分のままでいられたのだが。
成果の報告は,夕食後,医務室で行う予定になっている。そこにはボッチも参加するが,会議に加われるのは今日限りだ。明日にはボッチ団が森のキャンプへ向かうので,アルジの知っていることは今晩のうちに全てボッチに知らせておかなくてはならなかった。そこで,アルジはケライにお願いし,報告する内容をまとめ,忘れたときのために会議に同席してもらうことにした。
もはや会議室となった医務室で,机の中央には土蜘蛛の破片が入ったビンが置かれている。アルジはシッショとともに,マッパ,ボッチ,オヤブンとショムに今日の出来事を報告し,土蜘蛛の正体がおそらく虚凧ディディンナであることを明らかにした。
「虚凧ってなんのこと?」オヤブンが尋ねる。「楠蜘蛛ベレエケのことです」とショムが翻訳する。「アルジは楠蜘蛛のことを勝手にそう言っているだけだ」とボッチがアルジに追いうちをかける。「ああ,そうなの。ボッチくんもそれを見たことがあるんだよね?この中身見てどう思う?」
オヤブンの質問に,ボッチはビンを手にし,その中身をながめる。「色は同じだが,同じ生物かどうかはわからない。観察したわけじゃないしな」その答えに,ふむ,とオヤブンが腕組みをする。
あの小さなモンスターが大地の全てを飲み込むモンスターに変異するなど,にわかには信じられない。虚凧と土蜘蛛の両者を見たのは,直感で暴走するアルジしかいないのだ。今だって,いちいち口を出そうとするので,適切なタイミングをショムの目配せで助けてもらっている。
「正体はどうでもいいから,今後の方針を決めてほしい」マッパがオヤブンを急かす。アルジとシッショの報告では,土蜘蛛は森まで広がりつつある。本部を森のキャンプへ移転したところで,その場しのぎにしかならないかもしれない。かといって,次に大きな地震があれば,里にもいられない。
里の存亡に関して,これほど性急な決断が求められることになろうとは。オヤブンは困惑する。これまではマッパが調査を進めて何とかしてくれるだろうとたかをくくっていたからだ。オヤブンはショムに視線を送り助言を求めるが,ショムもお手上げである。
「そいつって倒せないの?」返答に窮したオヤブンは自らの無能さを表すかのような言葉を発した。その場がため息に包まれるようだ。あまりにあきれたマッパが,これだから竜人は,と悪態をついたうえで,「あのなあ,地の果てまで覆いつくすようなバケモン,どうやって退治するんだ」と当然のように答える。
マッパの一言は,オヤブンを非難しているようでありながら,調査隊がどうにもならないほど行き詰まっていることを示していた。このまま留まれば地震にやられ,森に逃げれば土蜘蛛に飲まれ,南へ逃れようとすれば紫針竜に貫かれる。生き延びる唯一の可能性は地震が来ないことを祈りつつ里に留まることだが,そんな淡い期待にすがっていいのだろうか。
ふいにケライが手を挙げた。「何だね」オヤブンが発言を許可するかのように言う。
「アルジさんの報告予定に,土蜘蛛の討伐計画,という項目があります」
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).