022
「シンキさん!」ミミが叫んだ。煙が晴れ,人の形をした鎧と盾が見えてくる。だがその内に魂がこもっていないかのように,ひざをつき,力なく倒れた。「なんてこと」ミミの目から涙があふれだし,顔を覆う。
「あきらめるな。まだ二人は生きてる」生きている。そうだ。生きているはずだ。
一匹を確実に仕留めた獣に,アルジは鋭い眼光を向け,攻撃の素振りを見せる。当然そんなことできようはずもないが,倒れる二人へのさらなる追撃を防ぐためだった。
「キセイさん」アルジは小声で言った。「これからゴリと私の三人であいつをひきつけます。ワンワとミミさんで二人を安全な場所へ避難させてください。できますか」
キセイは答えなかった。防御のない状態であの獣の全力の攻撃をひきうけることになるのだ。
「調査隊の命運がかかっています。お願いです」その言葉にキセイは奮い立ったのか,うなずく様子を肩越しに感じた。
「ミミさん」アルジは呼びかけたが,肩を震わせ,無言で泣きじゃくるだけだ。
「ミミ!二人を助けろ!」そう叫ぶと,アルジは足元の実を散らせ駆け出した。その様子に獣は新たな標的を定めた。キセイは反射的に小さな笛を構えて吹き,それぞれのペットに指示を出す。
いいぞ,キセイ。
生身のアルジが,圧倒的に運動能力の優れるこのモンスターを相手に長く逃げ回るのは不可能だ。だがゴリの存在が大いに助けとなった。この勇敢なペット,もといキセイの相棒は,身の丈が自分の何倍もある敵にも臆さず果敢に挑んでゆく。キセイと強い信頼で結ばれていることの証だった。
獣がアルジに背を向けると爆竹で注意をひき,こちらに背を向けるとゴリが後ろからちょっかいを出す。一撃でもくらえば終わる緊張感のなか,三人はたくみに立ち回った。
立ち並ぶ木を盾に,倒木を盾に,アルジは器用に駆ける。クビワには遠く及ばないものの,大きな進歩だった。だが所詮は人間であり,緊張感と集中力を維持しながらの激しい運動はみるみる体力を奪っていった。それはゴリも同じようだ。
「ここまでか」アルジは肩で息をしながらキセイに言った。「キセイさん,撤退しましょう。ゴリが攻撃を受けないよう気をつけて」必死にしがみついて指示を出していたキセイも限界だった。まだ十分に余力のある敵に背を向けないようにしながら,徐々に後退してゆく。一番危険な時間だ。
だがそこから明らかになったのは,やはりこの獣も戦闘狂ではないということだった。縄張りを荒らされたから攻撃したものの,こちらがいったん縄張りから離れ,怒りが沈まれば,ちょっかいに反応はするが,こちらに明確な殺意がないうちは全力で攻撃してくることはない。無駄な体力を使う意味はないからだ。いわば軽い運動に付き合っているようなものだ。そしてその準備運動程度でアルジらは力を使い果たしている。それだけの差がある。
「キセイさん,私の鞄に干し肉が入っています。おわびにあいつの足元に投げてやってください」アルジが視線をはずさないようにしてキセイに言うと,キセイは腰の鞄をたぐりよせ,中から袋に密閉された肉をとりだした。そして袋を破き,わずかに手についた油を舐めると,獣の前に放った。
その獣は攻撃かと思い肉を避けたが,やがて食べ物であるとわかると鼻を近づけニオイを確かめはじめた。その姿を見ながら,アルジらは後退する速度をあげる。獣はアルジらを追うのをやめ,三人は森の中に姿を消した。
肉食動物への餌付けは愚行である。だがアルジにとって,それは相手を長く生かしておくつもりはないというメッセージであり,いずれ決着をつけるという覚悟のあらわれでもあった。
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