028
この章では,ストーリーに進展はない。ゆえに,肉にわいたウジ,そういったものを嫌う読者は飛ばしてほしい。
自室のベッドで毛布にくるまり,アルジは虚空をながめている。こんな間もショムは二人を救うため,夜を徹して治療にあたっている。あの夜,優しく自分をなぐさめてくれたミミは自室にこもりきりで,シッショは何か上の空だ。
そんな状況なのに,アルジは自分がワクワクしているのが不思議でしょうがなかった。自分はおかしいのだ。普通は相手の悲しみにあわせ,落ち込んでいるべきなのだ。だがこの間も頭の中では常にザエルと組み手をし,どうすればかわせるか,倒せるか,そればかりを考えている。ザエルはボッチ団にとって悪夢だ。ボッチ団だけじゃない。ほとんどの人にとって,あんなバケモノに襲われ,仲間に瀕死の怪我を負わされれば,誰でもボッチのように,キセイのように,そしてミミのように,おかしくなる。あの出来事を思い出すことさえも憚られるだろう。
あの日は忘れられるべきだ。森のような危険な場所には近付かず,もっと安全な場所を調査し,穏やかな日々を送るべきなのだ。そして些細な発見に一喜一憂し,報告書の誤字に笑い,採取された食材で彩られた食事に満足し,湯で身体を癒し,大地とともに眠りにつく。
だがアルジは,一刻もはやくザエルと戦いたかった。その巨躯から想像できない身のこなし,視野,そして狙った敵を確実に葬る必殺の拳。あんなものがこの世にいて,そして今でも生きているのだ。
なんて素晴らしいのだろう。
とはいえ,仮にザエルがいかに素晴らしいモンスターかをこの里の誰かに語ろうものなら,軽蔑だけでは済まない。
「信じられない」
「おまえに人の心はないのか」
あらゆる負の言葉がアルジにふりかかってくる。やがて唾棄すべき存在として排除される。
そうだ。自分でも信じられない。シンキが爆炎に包まれたとき,アルジは隠しきれない興奮を感じたのだ。あんな爆発を起こせる生物がいるのか。どんな仕組みなのか。武器に,設備に,あれを応用することはできるのか。仲間の生死よりもその好奇心が先に立ったことに,アルジはひどく後悔し,そんな自分を嫌悪し,同時に己が飼う獣に恐怖した。
いや,もともと自分に人の心などないのかもしれない。そうアルジは考えていた。里のなかで,相手の一挙手一投足を気にし,傷つけないような言葉を選び,それでもしくじり,そのたびに毎晩後悔する。けれども自分以外の人達は,それを何なくこなし,笑い,泣き,過ごしている。ケライでさえも。どうしてただ人の世界で暮らすだけなのに自分はこんなにも苦しいのだろう。
人が喜ぶものに自分は苦しみ,逆に人が恐れるものに自分は興奮をおぼえる。多少のずれであれば修正できようが,完全に逆になっているものを,果たして直せるのか。直せないものなら,人の世で同じように笑い,泣き,暮らすことはかなわないのだ。自分はどこにもいられない。居場所など,はじめからない。
だがアルジは心のどこかで,そんな自分に対する奇妙な信頼もおぼえている。消すべきだと思いながら,同時に絶対に失うべきでないとも思っている。それは自分に対するある種の期待でもあった。全ての人が同じものを恐れれば,誰もそれを克服することはできない。けれども人の恐れるものを喜ぶ自分なら。
「私だけが」
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).