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「おい」
腕組みをしてぶすっとした顔のマッパ。その向かい側で,ケライとミミがひそひそと紙を見ながら話し合っている。時折ミミが紙を指差して何か質問し,それにケライが答える。ミミの顔はケライの頬に触れるほど近く,しかもなれなれしく腰に手を回して,まさに傍らに人無きが如しだ。
もう少しマッパ自身が二人に距離を詰めれば,何を言っているのか聞き取れるだろう。だがそれはプライドが許さなかった。あくまでもお前がわかるように話せ,俺が聞く,という姿勢を貫きたいのだ。本来は解説役のミミもまじえ三人で意見交換をしようと思っていたのだが。それともこれが普通なのか。少なくともアルジは不器用ながらも話しに来てくれたものだが。
アルジ。
マッパは首を振る。
マッパが大瓶の水を飲み干し,ようやく二人の話が済んだようだ。もともとマッパを仲間外れにするつもりはなく,まあミミは少しなりとも思っていたかもしれないが,とにかくケライはアルジではないので質問されてもわからないことがある。それをミミが補えるかどうか確認していたわけだ。アルジのアイデアが仮に優れたものであっても,本人不在のまま披露してマッパに袋叩きにされるとアルジの名誉が傷つけられてしまう。
「クビワさんとアルジさんの直感に従えば,狡舞鳥はキセイさんでも飼いならせるかもしれません。それくらい大人しいと推測されます」「根拠は?」「これはアルジさんの実戦から得たものですが,狡舞鳥は攻撃されない限り反撃することはありません。生きている獲物を積極的に襲うことはないようです。少なくとも空腹でなければ接近しても安全でしょう。これは多くの肉食獣に共通するものですね。ただ,アルジさんは,狡舞鳥が対捕食者に特化した腐肉食のモンスターなのではないかと予想しています」
「対捕食者に特化?」「捕食者が襲いかかってくる習性を利用して,反撃して逆に仕留めてしまおうというものです。雪灯籠にしても,疑似餌にひっかかった獲物を捕えるものなので,多少似たところがあるかもしれません」
似てはいる。だが決定的に違う。罠をしかけるような捕食者は基本的にあまり動かない。無駄な体力を極力使わないようにするためだ。報告が間違っている可能性もあるが,狡舞鳥のように,エサを求めて動き回るような非効率なことはしない。まるで狡舞鳥は戦いを求めているようにも思える。もしそうなら,アルジはまんまとそれにはまってしまったことになる。
マッパ自身は戦っていないから,狡舞鳥がどのような生態をもっているのかはわからない。自分達が狩りの対象にされるかどうかが重要だ。そうだ。「どうして生きている獲物を狙わないとわかるんだ?」
「ええと」「アルジさんが狡舞鳥に捕食されそうになったのは二回。いずれも自身の動きが静止したときです。それ以外ではクチバシを突き刺す様子さえ確認されていません」ケライが補助した。ミミがうなずく。「狡舞鳥は常にクチバシを鳴らしているそうです。もし弱い獲物が聞けば逃げてしまいます。わざわざ手間をかけてエサを逃がそうとするものもいないでしょう。ただし,相手が捕食者であれば,自分の位置を教えることで探す手間が省けます。そして相手が死んでいれば,鳴らしても何も損をしない」
なるほど一理ある。だがそれは理があるだけで実ではない。マッパはアルジが自分と同じくらいせっかちであることを知っている。「もし餌付けをするとして,誰がやろうとしていたんだ」
ミミの顔が曇る。「アルジさんです」ケライが代わりに言った。
そう。こんな危険な役を引き受ける者などアルジ以外いない。アルジは裂掌獣の子供を里に連れてきた命知らずの実績もある。ただ,狡舞鳥を餌付けする試み,その機会をマッパが奪ってしまった。かといってその責任をとってマッパが行うには殺気を放ちすぎている。
「悪かったな」マッパが目をテーブルに落として言った。「それはアルジさんに直接言ってください。今からでも」「今から?」「はい。ケライさんも今からお見舞いに行きませんか」「行きます」即答だった。「治療室に入れるのか」「たぶん今は感染症の危険はありませんから,ショムさんからの許しが出れば」「…わかった」
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