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二人が川岸の崖にたどり着く頃には,夕闇が迫っていた。今から川を渡ってキャンプに戻るのは危険だろう。テントを張って夜を過ごすしかない。
マッパが当初考えていたとおりに事を運べていたら,今晩のうちに森の中で一泊し,翌朝そのまま大穴に突入できていた。土蜘蛛に追いつかれる前に内部の調査ができたはずだ。そこでもし紫針竜を倒す手がかりがつかめたら。そう考えると,モンスターの襲撃を受け,足止めをくらったこの一晩は重い。
とはいえ,ボッチは案内にやってきただけであり,そんな深い領域まで足をのばすとは全く思っていなかった。楠蜘蛛に襲われたのは一概に悪いことばかりとはいえない。マッパは本人にその気はなくても隊員に無茶をさせる。それに耐えられるのはシッショやアルジなど,頭のネジが外れた連中だけだ。
焚き火をつつきながら,ボッチはたまにわからなくなる。
「マッパさんはどうしてそんなに焦っているんだ」
横になりながら森をながめるマッパに尋ねた。マッパはこちらに背を向けたまま,不快な質問であることを雰囲気で示す。ただ,マッパが観測省の一員であったことなど,隠しておくべき話はこれまでいくつかしてきた。そろそろ打ち明けてもいいだろう。
「紫針竜のことは知っているか」「ああ。夜空を飛ぶ流星の」「どうしてあれがモンスターだって知っているんだ」「それは,オヤブンから聞いて…」
ふいにマッパは起き上がってボッチを見る。「紫針竜は南と里を封鎖している。そこを通るやつは見境なく殺す。あいつがいるかぎり俺たちはここから逃げられない」
ボッチはその言葉に少し驚いたようだった。だがマッパが想像していたほどではない。かわりに今度はボッチが森に注意を向けながら,マッパの言葉に応じた。
「オヤブンは竜人だから,いずれ助けが来る。土蜘蛛さえなんとかすれば」
マッパはあきれる。「後発隊だって生き残ったのは二人しかいないんだぞ」
「もし想定した以上の危険ならそれなりに準備をするはずだ。南がオヤブンを見捨てるとは思えない」「そのためにどれだけの被害が出るかわからないのか?」
「そのために?」ボッチの腹に刺すような痛みがはしった。怒りだ。「マッパさんたちの無茶に付き合わされて,これまで俺たちがどれだけ傷ついてきたと思ってるんだ。南からの救助で死ぬやつらを減らすために,俺たちが何人死んでもいいってのか」
その言い分を否定するために口を開こうとするマッパに,ボッチがたたみかける。「里の設備は完璧だ。モンスターの襲撃もない。地震や土蜘蛛みたいな想定外の事態はある。けれども新しい拠点にうつれば問題ないはずだ。もともと俺たちはこんな大規模な調査をするような部隊じゃない。封鎖されているなら,それが解除されるまで待っていればいい。もし俺たちに救助されるような価値がないなら自力で助からなきゃいけないかもしれない。でも俺たちは竜人の組織だ。多少の犠牲をはらっても,オヤブンが元気でいるかぎり,南のやつらは俺たちを助けに来る」
多少,と言ったのはボッチが言い返されないために使った方便である。実際には,どれだけの犠牲をはらっても助けに来るだろう,というのが本心だ。ボッチは自分の判断が原因でシンキに大怪我をさせた。死なせてしまうかもしれなかった。ここはそれだけ危険な土地なのだ。自分たちは十分傷ついたのだから,南からの救助に来る者が犠牲になっても,自分たちが死ぬよりはマシだ,と思っていた。はたから見れば身勝手だが,大切な者,愛する者が目の前で黒コゲにされ,痛々しい後遺症を抱え,なおこちらを気遣う,その様子を見て冷静に考えることはできなかった。
「そうか。お前がどんなやつかはわかったよ」マッパは立ちあがり,身体の埃をはらった。「俺は俺のやり方でやる。お前らに期待したのが間違いだった」
「駄目だ。マッパさんが行くなら俺も行く」そのまま森に向かおうとするマッパをボッチが呼び止めた。その一貫しない態度に腹を立てたマッパは,急に戻ってきてボッチの胸ぐらをつかんだ。
「何のつもりだ。俺に指図する気か」そう言って服をギリギリとしめあげる。だがボッチは怯まない。
「脅しても無駄だ。マッパさんを案内するのは俺の役目だ。はぐれたりケガを負わせたら俺の責任だ。俺はボッチ団の隊長として,マッパさんの面倒をみるようオヤブンから命令されている。その義務は果たす。一人で行きたいなら俺を叩きのめしてからにしろ」
その豪胆な態度は,先ほど逃げ回っていた人物とは同じと思えないほど腰のすわったものだった。こいつは調査隊向きではないな,と思いながらも,マッパは口の端に笑みを浮かべ,その手を離した。
「お前,いい指導者になれそうだな」
いい指導者,というのが誉め言葉なのか皮肉なのかはわからない。首元のよれた布を直しながら,ボッチは目をそらして「同じようなことをシッショにも言われたよ」と答えた。
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