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里は一発の地震でその姿を変えてしまった。
本部はあちこちが崩れ,加工場もひしゃげられている。湯治場は屋根の下敷きで,しばらく使いものにならないだろう。書庫は,言うまでもない。まあ,火災が起きなかっただけでも良しとしようではないか。ただ,さすがというべきか,医療施設だけはヒビが入りつつも本来の形を保っている。人命を第一とする調査隊の意地の表れだ。
この人数で元の機能を取り戻すにはどれほどの時間がかかるだろうか。せっかく里に帰れたというのに,誰もがその変わりように唖然としている。
「オヤブンさんは」ミミが問う。ショムがいないとなれば,医務室か。ボッチたちは足早に向かった。
医務室に入ると,肘に湿布を貼られるオヤブンと,向かいにショムが座っていた。真っ先にミミが口を開く。「オヤブンさん,無事で良かった」
「ああ,久し振り」本当である。「ケガはありませんか」
「本棚の下敷きになったけどね,ボクは小さいからね。隙間にスポッと」そう言ってジェスチャーをする。「そうそう。スポッとね」ショムが口元を隠して笑う。発見したときはよほど滑稽な様子だったのだろう。とはいえ,無事で何よりである。
「あれだけ大きな地震,以前にもあったんですか」アルジが聞いた。「いえ,こんなの初めてで」「やはり」
「やはり,とは何だね」オヤブンが不審に思う。「この地域が頻繁に地震の起きる場所なら,あれほどの揺れでも倒れないような構造になっているはずです,建物が」
そう。大きいといっても,もしくはミミやキセイが震えあがる揺れであっても,慣れている者からすれば我を忘れるほどではない。それで里の建物が崩れるという事実こそが,この地域では地震が珍しいものであることを示唆する。
余震に気をつけましょう。ショムの言葉を受け,皆は掃除にとりかかった。本部のいくつかの部屋,ラウンジの半分は使いものにならない。湯治場はむしろ露天風呂にしてしまうか。加工場の機材は無事だ。そんなふうに会話をかわしながら,作業を続けた。アルジは物を持ち上げられないので,もっぱら廃材等を運搬する係になる。
こんななかでも活躍するのはキセイの相棒たちだ。マッパたちよりは力があるし,キセイの指示でテキパキと仕事をこなす。むしろ,アルジの方が道をあけるありさまだ。アルジはそんな様子をボッチにからかわれながら,気にしないよう意識した。
ふとアルジの服を引っ張られた。振り向くとケライが立っている。
「書庫を片づけるので手伝ってください」
散乱した本棚を見て,自分が呼ばれた理由がわかった。高いところに手が届かないためだ。いちいちハシゴを使うのは手間なので,アルジが肩車をして納めてゆく。さすがここに入り浸っているだけあり,二人の呼吸は合っている。ケライが背表紙の数字を言うだけで,アルジは的確に場所を移す。
「ケライをまた抱っこしたかったな」「アルジさんの腕はもうありません」「だから言ったんだよ」「私を抱える必要があるときは私がしがみつきます」「ほんと?」「そんな機会はありません」「わからんよ」「ありません」
本は散らばっているものの,棚は杭で固定されているのか,ドミノ倒しになっていない。ただ,奥にひとつ倒れている棚がある。
「ねえ,あの棚倒れてるけど」「はい」「気になるから直していい?」「あとにしてください」「はーい」「返事は短く」「はい」
二人が迅速に作業をしても,書庫の膨大な書物を元に戻すのは骨が折れる。なかには落ちた衝撃でページが散乱しているものや,表紙からちぎられたように,ベロン,と破れかけているものもある。人間の叡智が踏みにじられたかのようだ。ケライは心なしか落ち込んでいるようだった。ただ,それはアルジも同じだ。
「南へ帰ったら修復してもらおう」「何をですか」「本を」「本は修復ではなく補修です」
破損した本をそのまま棚に戻すわけにはいかない。机と棚を往復しながら,そうした資料を積んでいく。
あるとき,アルジの視界の隅で何かが光ったような気がした。
「ん?」
アルジが急に顔を動かしたので,ケライはバランスを崩した。髪を引っ張られるのも構わず,アルジは目を凝らす。その先にあるのは倒れた本棚である。後回しにするはずだったのだが,ついつい足が向かう。「そちらではありません」ケライが両足でアルジの頭をしめつけた。「ごめん,やっぱこの本棚を直したい」「後にしましょう」「今がいい。気になってしょうがない」「わかりました」
アルジはケライを降ろすと,棚の端に手をかけた。棒を持ってきたケライがその隙間に差し込み,てこの原理で持ち上げる。できあがった空間にアルジは入りこんだ。あとは背中で押すだけだ。本がばさばさとアルジの肩に落ちる。言わんこっちゃない。
ごとん,と本来の姿勢に戻した棚,散らばった本をそのままに,アルジの動きが止まる。やっぱりだ。「ケライ,ちょっと来て」
隣に立ったケライに,「これ」と下を見るよう足を振って促した。だがケライはなぜアルジが足を振っているのかわからない。
「下を見て。床に取っ手がある」
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