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シンキの部屋で豆をすり潰したスープが振る舞われた。アルジは,それを食器ですくってクビワに飲ませてやる。あれだけ大食いのクビワが,自分で手を伸ばして飲むことはしない。だがそれよりも,シンキはアルジの腕が食器を吸いつけていることに驚いた。アルジの腕には,ミミが作った特殊なシートが巻いてある。これには小さな輪がたくさんついている。それと対になる爪がついたテープを任意の道具に貼ると,爪が輪にひっかかることで色々な物を持つことができるのだ。簡単にいえば面ファスナーである。すごーい,と言いながらシンキはアルジの腕から意味もなく食器を脱着して遊んだ。
小腹を満たしたクビワの身体がこわばっていたので,背中をさすり,げっぷを出させてやる。トイレと食事という大仕事をなしとげたのか,満足した様子でクビワは目を閉じ眠りはじめた。
「ほんとに赤ちゃんみたいだね」起こさないようにシンキが小声で言う。
「起きてるときも半分寝てるような感じで,少し熱もあるみたいなんです」アルジの言葉を受け,シンキはクビワの額,次いで首に手を当てる。「うーん,たしかにちょっとあったかいかも。朝になったらショムさんに見せたほうがいいかもしれないね」
それからアルジは怪我の具合など,シンキと軽い世間話をしたあと,お礼を言ってシンキの部屋を出た。シンキは笑顔でじゃあね,と手を振った。
里の人達は聖人ばかりなのだろうか。未明にも関わらず快く食事を提供し,しかも気配りを忘れないシンキの親切にアルジは震えた。
いったん横になってしまうと,腰の具合から今度こそ起きあがれなくなってしまう。アルジは壁際に腰をおろし,浅い睡眠をとった。
やがて朝になり,二人はショムの元を訪れた。クビワは腹側をショムに向けないので,体温や背中ごしの触診などを行う。
「うーん,少し微熱があるほかに異状は見当たらないけど」「シッショさんが何か言っているのを聞いたことはありませんか」「そうですね…あ」
ショムは何かを思い出したように言った。「シッショさんが,あれが来るとクビワが落ち着かなくなる,って相談しに来たことがあります。そのときはシッショさんひどい腰痛になって」
腰痛。アルジと同じめにあったのだ。だがあれとは。考えられるのはザエルとの戦いで見せたもうひとつのクビワだが。
「二,三日くらいでおさまるみたいだから,今回はアルジさんに我慢してもらうしかないかもしれませんね」「はあ。では,湿布を大量に下さい」「ふふっ。わかりました。そうだ,クビワさんのお通じのほうはどうですか」「ええと,クビワさんがこうなってまだ半日くらいなので」「じゃあオムツをしましょうか」「はい,お願いします」
それから,オムツをしたクビワを常時抱えて過ごし,本来のクビワに戻るのを待つことになった。クビワが不快感を示したら遠慮せずショムをたずねるように言われた。基本的にクビワは寝ているが,たまにアルジに呼びかけてくる。いつも寂しがっているようだった。アルジはクビワにさん付けをするのをやめた。距離が遠い感じがするからだ。
夕方,ショムの許可をもらってクビワを風呂に入れることにした。いつもは洗われる側だが,今日は洗う側である。腕が短いので髪をお湯で流し,身体の垢を落としてやる程度だが,クビワはさっぱりした様子だ。湯船に浸かっている間も,安心したような,穏やかな顔をしていた。
食事をとり,ショムにオムツを替えてもらうと,その晩はいつでも対応してもらえるよう病室で眠ることにした。いつでもとはいうが対応するのはショムである。可能なかぎり負担をかけないよう,アルジ自身で対処しようと考えてはいたが,とにかく,二人ですっぽりと毛布をかぶり,何もないことを祈りつつしばらく経った。
夜泣きなどもみられず,やがてアルジがまどろみに沈み始めた頃,
「アルジ」耳元でクビワがささやいた。「何ですか」反射的に返事をする。
「もりにはクビワのなかまがいる」
思わず跳ね起きそうになった。平静を装い返事をする。「クビワの仲間?」「うん」
クビワは姿勢を変えて言葉を続けた。「にんげんがいっぱいころした。だからなかまがにんげんをいっぱいころした。にんげんはもういないけど,でもまだにんげんをうらんでる」
「私はクビワが好きだよ」人間を恨んでる,に対する返事のつもりだった。クビワ自身は仲間を殺されただけでなく,シッショに保護されるまで,どれほどひどいめにあったかわからないのだ。相当の憎しみを持っているだろう。だから全ての人間がクビワの敵ではないと示したかった。事実,好きという言葉に偽りはない。
「ありがと。クビワもアルジがすき。きのうはせかいでよんばんめにすきだったけど,いまはにばんめにすき」「一番はシッショさんですね」「うん。アルジは?アルジはクビワがなんばんめにすき?」「そうですね,二番目か三番目ですね」「えー,いちばんがいい」そんな他愛のないやりとりのなか,アルジは久し振りにクビワの笑顔を見た。
やがて,ふいにクビワは無言になった。そしてアルジの胸に身体をうずめて「クビワはもりにいかない」と言った。アルジ達にも森へ入ってほしくないのだ。入れば,仲間と戦うことになるかもしれない。いや,生きて調査を続けていればいずれ戦うことになる。
だがアルジは非情な言葉を放った。「私はこれからも森に行きます」クビワがびくっと身体を震わせる。「クビワ,ごめんなさい。私は嘘がヘタだから,正直に言います。私は森の先に何があるのか,誰がいるのか知りたい。だからこれからも森に行きます」
クビワの反応はない。アルジは言葉を続けた。「でも,クビワとシッショさんは連れていきません。クビワが悲しむから」それを聞いてクビワはふっと顔を緩ませた。安心か,嘲笑か。わずかな交渉さえも未熟なアルジに対し,クビワが何を思ったかは定かではない。そのまま会話は終わり,二人は眠りについた。
それから二日間のあいだ,先のような会話がかわされることもなく,二人は親子のような関係を過ごした。ある朝,アルジは身の軽さを感じるとともに,クビワが元に戻ったことがわかった。そして,シッショがマッパを連れて帰還したのを知った。
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