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「私,本当は里が南と連絡が取れないの知ってるんです」

加工場でアルジの寸法を測りながら,ミミは秘密を打ち明けた。そうだ。初めてミミに会ったときに,紫針竜の名を聞いたのだ。

「このままじゃいつか私たち全員飢え死にしちゃうのに,ずっと調査に進展が感じられなくて,それで,少し不満だったんです。でも」

ミミはサイズを記録すると,顔を上げて言った。「お二人が来てから変わった気がするんです。ひどい怪我を負った人も大勢いますけど,でも,みんな生きてます。いいえ,みんな生きて,帰ります」

アルジの膝にガサガサの両手を置いて,ミミは言葉を続けた。「だから,めげないでください。いつでも応援してますから」澄んだ瞳だった。それは歪みきったアルジの心に最大級のダメージを与えるものだった。


アルジは義肢が完成するまでに,自分ができることをしようと思った。いつものようにラウンジで本に囲まれるケライにお願いし,書庫に来てもらうと,ある図鑑のページを開いた。そこにはザエルのエサだと推測される,卵のイラストが載っていた。

「これ読んで」ケライは文章にしばらく目を落とすと,顔を上げて言った。「読みました」

「ごめん。私が読めないので,音読してほしいんです」

ケライはアルジの言葉に目で舌打ちすると,声に出して読みあげた。残念ながらそこにはアルジが期待したような情報,たとえば卵に含まれる毒素や特殊な物質など,はない。森の固有種である昆虫の卵というだけだ。だがひとつ気になることがあった。血の嵐に閉ざされたはずなのに,なぜ大陸固有の生物が記録されているのか。

「この図鑑は誰が書いたんだ?」それを自分への問いと捉えたケライが,奥付やトビラを確認する。「国立観測省と書かれています」観測省?血の嵐以前にここに南の研究チームが立ち入っていたのか?「この項目の著者がいるはずだが」ケライははしがきから目次まで確認したが,個人名は書かれていなかった。ということは,この図鑑は公式に出版されたものではない。

アルジの背筋を冷たいものが流れた。血の嵐以前の調査記録。調査の停滞。他の後発隊の消息。

血の嵐が何であったのかも含め,これらの謎を全てアルジが解き明かせるか,もしくは知るときが訪れるのかは定かではない。願わくば,それまでのあいだアルジの命が尽きないことを願うばかりである。

とりあえずアルジは,卵とザエルの関係に関する仮説を文章化することを目的にした。その際,論理に破綻がないか説明し,ケライに判断を委ねた。内容は次の段落に書かれているとおりであるが,とくに意味もないので飛ばしてかまわない。

ザエルが起こす爆発が二種類の液体による反応ならば,先に霧として噴出された液体と,反応の結果生じた混合物がシンキの鎧に付着しているはずだ。そしてアルジは,ザエルがその材料の一部をエサから摂取していると考えている。たとえば自力で合成するのは困難な物質でも,生物濃縮によって猛毒や重金属を蓄積できる。ザエルも強力な燃料となる物質をエサから摂取しているのではないか,という仮説だ。特定の金属を水に混ぜれば爆発するように,片方の物質が特殊であれば,他方が一般的な物質でも強力な攻撃を生み出せる。この仮説を検証するのは容易い。シンキの鎧に付着した成分と,エサと推測される卵から検出される成分が一致すればよいのだ。

熱く説明するアルジだったが,ケライは退屈そうにあくびをする。「もう少しマジメに聞いてほしいのだけど」

それに対しケライは「アルジさんが自分の発想に自信があるなら,私が判断しなくてもいいのではないかと思って」その通りだ。「間違っていれば後で指摘されたときに直せばいいですし」

くよくよしている暇があったら実行する,というのがケライのスタイルなのだろう。「でもそれで取り返しのつかないことになったらどうするの」「それは申請を許可した人の責任です。発想した人や実行した人が負うものではありません」そうだ。それが今までアルジの後押しをしてきたのだ。

「わかった。ケライ。私の考えをオヤブンに出すから,文章化してほしい」「はい」そういってペンを持ったケライの手に違和感があった。

「ケライ。その手」大きな傷跡がついていた。「何ですか」「ペンの持ち方がおかしいけど,怪我したの?」「はい」間違いなくあの人喰い樹によるものだろう。

あの綺麗だった人差し指も爪がはがれ,失われている。「もしかして文字書くと痛い?」「痛いです」「じゃあ無理して書かなくていいよ,直接交渉してくる」「資料のない交渉はオヤブンさんに迷惑をかけるだけですが」「でも書いてもらうとケライが苦しむ」「優先するべきことをしましょう」

マッパの助けがあったとはいえ,自力で敵の懐から生還しただけのことはある。ケライの根性には恐るべきものがあった。ケライのややぎこちない筆記を見ながらアルジは涙目で言葉を述べ,それを終えると「義手が完成したら毎日薬塗ってあげるからね」と言い,即座に「いりません」と返された。



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