018
腕の痛みもだいぶなくなった頃,アルジはシッショらの出発を見送ることになった。早朝のひんやりしたラウンジで,アルジと向かいあう三人との間には大きな距離があるのを感じた。
「それじゃあ行ってくるね」「だいはっけんしてかえってくるからな!」「クビワ声が大きいって」
「アルジさん」そう言ってケライが歩み寄ってくる。アルジは何らかの期待をしたがそれは誤りである。ケライは鞄から綴じられた紙の束を取り出し,アルジの隣にある机に置いた。
「これは」「報告書の書き方です」「渡されても読めないんだけど」「手書きの字は読めると言ったはずですが」
腰をかがめ肘でめくると,色分けや字の大きさなどが工夫された文章がイラストとともに記されている。
「これ,わざわざ作ってくれたの?」アルジは驚き,ケライを見やる。「ショムさんの協力もいただきましたが,いずれはアルジさん自身で書いていただきたいので」
ああ。胸から熱いものがこみあげるとは,こういうものだったのか。「ありがとう。」心の底からの感謝だった。それをシッショは微笑ましい様子で見ていたが,暇なクビワは広場で回っていた。
そうしてシッショ,クビワ,ケライの三人は獣車とともに里を出た。
三人が出発してからボッチ団の面々が起き出してくるまで,アルジはケライの作成したマニュアルを眺めた。眺めた,という表現は正しい。というのも,多少理解できる部分があるとはいえ,模様にしか見えないところも多かったからだ。困った。こんなことなら安易に読めるなどというべきではなかった。だがこれで読めないと返事しようものならケライに愛想をつかされることは間違いない。
昼になり,アルジもボッチ団と出発することになった。だが広場に出ると,身の丈が人間の倍はありそうなモンスターが立っている。毛に覆われた肉団子のような身体。その手は巨大な鎌のように尖り,足は短い。顔にはカラスのような嘴がついている。
アルジは身構えたが,ボッチが後ろからアルジの肩を叩き,「敵じゃない。キセイのペットだ」と言った。確かにモンスターの脇でその鉤爪をなでる小柄な人物がいる。
「アルジはまだ会ったことがなかったな。キセイだ」そう言われると,キセイと呼ばれた人物はアルジを見て,無言で会釈をした。「はじめまして。後発隊のアルジです」アルジも挨拶をする。キセイの髪はくしゃくしゃだったが,てっぺんにはピンと立った耳があり,腰の下からふさふさの尻尾が垂れていた。
「キセイさんも獣人族なんですか」「そうだ。だからというわけではないが,俺たちよりもペットと一緒にいたがる」「みなさん,お待たせしました」その声とともに,ミミとシンキがやってくる。シンキは重厚な鎧に身を固め,大きな盾を背負っていた。
「シンキさん,すごい装備ですね」「でしょー。アルジさんが襲われても守ってあげるからねっ」アルジの問いにシンキは笑顔で答えた。口には出さなかったがアルジには気がかりがあった。野犬のような小型の敵であれば鎧は有効だ。だがいかなる装甲であれ大型モンスターの攻撃をうけたらひとたまりもない。ゆえに危険なモンスターの生息するこの地で重い鎧を身につけるのは不利になる可能性が高い。もしかすると,実戦経験の乏しいシンキに配慮してボッチ団は安全な土地で植生の調査などを行っているのかもしれない。とはいえこの五人のなかで敵に襲われたときに最も死にやすいのはアルジである。
「今から出発すれば夕方にはキャンプに着くと思う」出発前にいくつか指示を受け,ボッチ団とアルジは獣車にのりこむと,キセイの運転で五人は出発した。獣車には,先のペットのほかに,ジブーほどではないが大型の獣がついてくる。おそらくこちらもキセイのペットだろう。
「ねね,アルジさんはいつケライさんと会ったの」獣車のなかで,シンキはアルジとケライの関係についていろいろ聞いてきた。その都度アルジは二人の,というかアルジの一方的な歪んだ関係について引かれない程度に答えた。ボッチは新参が自分よりも注目されているのが気にいらないのか,合間に悪態をついた。「しくじって両足も失くさないようにしろよ」や,「早く文明人らしくテーブルで食えるようになるといいな」等。シンキはボッチにツッコミをいれてからかったが,ミミは言葉にはしなかったもののひどく不快な様子だった。
予想通り,獣車は夕方に調査団がたてたキャンプに着いた。雪の合間にはまばらに草が生え,平地のなかに煙突のついた半球状の建物がある。丈夫な革張りの内部は広く,毛の長い絨毯が敷かれ暖かい。想像以上に快適だった。
「これはすごい」アルジの言葉にボッチがニヤリとする。暖房に火を入れ,ボッチ団の四人はテキパキと荷を広げながら適切に配置してゆく。無言のチームワークだった。アルジは後ろめたさと劣等感をおぼえる。
「アルジさん気にしなくていいよー。あたしたち慣れてるから」肩に荷物を乗せたシンキが通りすぎながら言う。最後に謎の仕切りが置かれ,その中にシンキは入っていった。全員の作業が済んだようだ。
「そこから先はシンキの部屋だ」ボッチが言うとシンキが仕切りの奥から顔を出し,「入ったらコロすからねっ」と笑顔で言った。キャンプ内に置かれた荷物の位置を見ると,ボッチ団四人それぞれのエリアがほぼ決まっており,アルジは自分の居場所がない,ということに気付いた。これが街中の宿舎で起きれば,四人で行われる枕投げをよそに,アルジは夜闇に姿を消すことになる。
「アルジさんは私の場所と共用ということでいいですか」ミミが助け船を出した。もとよりそのつもりだったようだ。だが,アルジは「いえ,私は立って眠れますから」と場違いな返答をする。
「やっぱアルジさんて変わってるねー」着替えたシンキが,仕切り,もとい部屋から出てきて言う。「遠慮しなくていいよ,ミミは優しいから」「優しくはないですけど,もう私たちは仲間ですから遠慮しないでくださいね」
「はぁ,ありがとうございます」アルジの返事にボッチは「素人は早くここの仕事を覚えろよ,山ほどあるからな」と言った。その後キセイをのぞく四人で今後の打ち合わせがあり,食事をとって眠りについた。アルジはミミの隣で眠り,キセイはキャンプの外でペットの毛にもぐり込んで眠ったため,キャンプの一角は使用されていない。だがここはキセイの縄張りであり,シンキ以上に決して侵してはならない場所であった。
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