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アルジはマッパたちよりも先に,崖に隣接した葉の一枚に降り立った。見上げると薄い葉を通して陽がさする。この葉は球技でもできそうなほど広く大きいのに,丈夫さとしなやかさをあわせ持ち,それでいて驚くほど薄い。里,いや,今は森のキャンプだが,本部に持ち帰ることができれば万能素材として使えそうに感じられた。
歩くとトランポリンのように足が沈み,その弾力性にはね返される。葉というより膜のようにも思える。細胞壁を持つ植物がどのようにしてこのような性質を獲得しているのだろうか。葉脈にも赤みがさしており,あたかも血管のようだ。アルジは葉を義足が貫通しないよう,幅広のシートを底に取りつけた。
「何してるんだ。早く行くぞ」後ろからマッパが急かす。
茎を渡って,ぬめりを帯びた幹にたどりつく。その表面は樹木にありがちな荒いものではなく,ウロコのように光沢を放ち,なめらかである。その表面には蔓のような太い茎が巻き付き,それは浮き出た血管が脈打つように,幹の表面を張りめぐらされている。この低い鼓動のような音はこいつが生み出しているようだ。地下の水を吸い上げているのか?いずれにせよ,その茎をつたって下に行けるのは好都合だ。
シンキはあちこちを眺めながら感嘆の声を上げる。ボッチでさえも想像だにしない植物と大穴が作り出す風景に圧倒されている。気にせず進むのはマッパだけだ。アルジはこの巨木に覇鱗樹エストゥバという名前を勝手につけていた。蝕霧と同様に,この世界の植物に二つ名をつけるような慣習はない。アルジが無知なだけである。
ボン。
近くで何かが跳ね返る音がした。「アルジさんよけて!」
アルジが反射的に身を投げ出す,その背後に何かが落下して弾けた。
もしシンキが,危ない,と言っていたら,アルジは頭上を見上げ,直撃をくらって脳が弾けとんでいただろう。アルジはシンキの瞬時の判断に命を救われた形になった。
「入って!」シンキが盾を頭上に構えながら叫び,滑りこむように盾の下のもぐりこむ。その手を先客のボッチがしっかりとつかんだ。
「敵襲ですね」「ああ」「相手は」「わからん」
盾に硬い物が当たる音がする。だがシンキの頑丈な盾はこんな些細な攻撃など寄せつけない。
「シンキさん頼もしいですね」「褒めるなら勝ってからね!マッパさん!敵はどんなやつですか!」
ただ一人,盾の外でマッパはほぼ棒立ちで上をながめている。恐るべき度胸である。
「猿だ」
「猿?」「ああ,追い払うから手を貸せ」そうシンキの問いに答え,大槌を持ったマッパは駆け出した。裸足だと葉や茎の反発を受けにくいからか,速い。「そんなこと言われても,うっ」盾を打つ音に萎縮し,ボッチは外に出られない。
「私が行きます。シンキさんはボッチさんをお願いします」「あいよ!」
アルジはしゃがんだままフックを射出して幹に固定すると,巻き取る力で一気に飛び出した。瞬時にマッパを追い越す。見たか。これが文明の利器だ。
と,その身体は茎を外れ,空中に投げ出される。いや,これは。
そこからアルジは再度フックを射出し,振り子の要領で一気に加速しながら,その反動ではるか高く上昇する。アルジにこれほどの機動力があるとは全く考えていなかったマッパは,数合わせで連れてきた二人の活躍に笑みがこぼれてしまった。いや,活躍といってもまだ敵の姿さえまともに見ていないのだ。
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