021
森は外から見た整然な様子とは異なり,中は朽ちて折れた木と雪解けの水たまりがそこかしこにあり,足場が悪い。はじめは乗り気だったシンキも「うわぁ,靴のなかビショビショだよー」と苦笑いする。だが「嫌ならすぐに帰るぞ」というボッチの言葉に首を振って「ううん,がんばる!」と両手でポーズをとった。
午後の調査にはキセイも同行した。折れて倒れた木をあるときは乗り越え,あるときはくぐる。小柄で体力のないキセイにはつらそうだったが,ミミの後押しもあってなんとかついてゆく。
「私が肩車しましょうか」アルジが言った。キセイが首を横に振る。調査隊の一員としての自分のプライドが許さないのだ。だが息はすでにあがっている。「キセイさん,無理しなくてもいいですよ」ミミが言う。「むしろここは視界が悪いから,キセイさんに高いところから観察してほしいんです」アルジはキセイのプライドを刺激しないように嘘をつき,背中を向けてしゃがむ。キセイは少し考えてから,アルジの背中を蹴るようにして肩の上に乗った。ミミが背中の泥をはらい,アルジは立ち上がる。「ちゃんと掴まっててくださいね。あと何か見つけたら言ってください」キセイはうなずいた。
五人の後ろをペットの二頭がついてくる。「キセイさんのペットについて聞いてもいいですか」とアルジが質問をすると,耳を強くひっぱった。「キセイさんの大事な家族について聞いてもいいですか」と言い直す。
「キセイさんの家族で大きいほうはなんていう名前なんですか」「ゴリ」
「小さいほうは」「ワンワ」もちろんどちらも物語の都合上覚えやすいようにつけた名前である。
不意にキセイがアルジの髪をひっぱり,何かを指差した。アルジは指差すほうを見たが,暗がりのなか木の群れがつづくだけだ。ただ,指差すほうと少しずれたところに大きな卵塊を見つけた。なんらかの虫のものだろう。しっかり茹でて寄生虫を取り除けば貴重な栄養源になる。アルジはミミに言って回収してもらった。仮にこの森で一般的なものであれば,今後の調査で有用な採取資源となるはずだ。
「キセイさんさすがですね」アルジはお世辞を言ったがキセイは何も答えなかった。
やがて森の中で明るくなっているところを見つけ,そこへ行くと開けた場所に出た。
「すごい!実がたくさんあるよ!」シンキが駆け出す。「転ぶなよ!」ボッチが注意するが無理もない。光が差し込む苔むした地面には,やわらかそうな緑のつぼみが一面に生えているのだ。シダ植物かそれに類するものの子実か。いずれにせよビタミン豊富なごちそうだ。「すごいな」思わずボッチも声に出してしまう。場所を地図に記すと,取りつくしてしまわないよう適度に採取することになった。アルジは首からカゴを下げ,キセイに代わりに拾って入れてもらう。ワンワは肉食だからか口にしないが,ゴリは地面の苔ごとむしゃむしゃと食べ始めた。
全員が採取にはげんでいるとき,アルジは頬に風の変化を感じた。
振り返ると,ボッチ。その背後に大きな爪。
「ボッチよけろ!」アルジが叫ぶ。その声に気付き,急いで振り返ったが遅かった。大きな爪がその背中を切り裂き,思わずボッチはうめく。
「ボッチ!」シンキが盾を構え,謎の怪物の前に立ち塞がる。だがその姿はあまりに大きい。異常に発達した上腕は硬いウロコに覆われ,獲物をひきさく巨大な爪がついている。腕以外の全身には,敵の攻撃をクッションのように防ぎ,寒さを通さない長い毛が生えている。顔からは鋭い牙が見え,肉食であることは明らかだ。首をかしげ,犬がおすわりをしたように佇むその姿は,縄張りに立ち入ったずる賢い侵入者をどのように始末してやろうかと考えているようでもあった。
「ミミさん,はやく」シンキの声が震えている。当然だ。ボッチを裂いたその爪は今や自分に向けられているのだ。だがシンキの心は何とか踏みとどまり,その盾はボッチ団を守ろうとしていた。アルジの隣で腰がひけているミミにアルジはつぶやく。「ミミさん,はやく」その声にミミはハッとして,四つんばいのまま震えた手足でボッチの元へ向かう。敵の注意が自分に向かうことを恐れる,人間の本能だった。
倒れているボッチ。盾を構えるシンキ。そこへじりじりと詰め寄るミミ。身構えるアルジと,力をこめてアルジの頭をつかむキセイ。怯えるゴリとワンワ。謎の獣はわずかに身体を動かし,その都度持っている盾を震わせるシンキの姿を見て楽しんでいるようだったが,やがてそれにも飽きたようだった。
獣はボッチを仕留めたときのように,大きく手を振りかぶった。いくら鋭い爪といえど,頑強に構えた盾は貫けない。シンキの防御態勢は完璧だ。誰もが思った。アルジ以外は。
獣とシンキ,その間をわずかな霧が包む。まずい。よけろ。でも避けたらボッチは。でも避けなければシンキは。わずか一瞬のためらいだった。
すさまじい爆炎と轟音がひびく。そのなかにシンキは消えた。
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