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湿地の草をかきわけながら,クビワはスンスンと鼻を鳴らし,雷掌獣の痕跡を探す。たまに風が水草をなぐ音のほかは,奇妙なほどに静かだった。
「変だな」シッショが押し殺した声でささやく。
「何がです」「来るたびに獣の気配が減っている」
シッショはマッパとともに初めてここを訪れた際,この地には似合わないほどの虫の鳴き声に歓迎され,鈍重な大型の生き物,というか食料,に出会った。だが,二度目にやってきたとき,その姿の代わりに雷掌獣と遭遇した。そして今は,縄張りに入ったにも関わらず,その気配を感じない。虫の鳴き声すらほとんど聞こえなくなったのは奇妙だ。時期的な違いといえるほど,それほど間が空いたわけでもない。仮になんらかの気象の変化などで捕食者が消えたのであれば,ここで作物を育てやすくもなるのだが。
罠か?
「撤退して様子を見ますか」アルジがシッショにささやく。以前シッショと森に入ったときはこの後囲まれることになったのだが,今回は違う。シッショは前方を進むクビワに声をかけ,応答の内容によって判断しようとした。「クビワ,どう?あいつのニオイはする?」
「うん」
シッショは振り向き,目を見開いてアルジを見た。アルジはそれにうなずく。二人は武器を構えた。退くか進むか。愚問だ。
とはいえ,相手はクビワを沈めた強敵だ。向こうもこちらに気付いているだろう。それにも関わらず仕掛けてこないのは,アルジ達が姿を見せるのを待っているに違いない。
草が途切れ,やや広い水場に出た。そこに,艶のあるなめらかな表皮に覆われたモンスターの姿があった。低いうなり声をあげ,威嚇している。
間違いない。雷掌獣ザエル・ウロだ。アルジが見ることもなく名付けた,裂掌獣ザエルの近縁種。それがいま目の前にいる。
小さい。それがアルジが最初に抱いた印象だった。裂掌獣が大きすぎた反動か。いや,その大きさも,心の中で作りあげたものかもしれない。少なくとも目の前の相手は,キバやツメよりははるかに大きいが,こちらを威圧するほどではない。また。体格そのものは裂掌獣と酷似しているが,ふさふさの毛は生えておらず,腕の甲殻も目立たない。ただし,その腕から伸びる爪はシッショの三尖槍よりもはるかに大きく,鋭い。その歯も発達しており,キバやツメのような若い個体でないのは明らかだ。
シッショに促され,クビワが後退し,入れ替わるようにアルジが前に出る。クビワはなおも何かを気にするように,鼻を鳴らす。
これくらいか。腕の得物を袖の下に隠したまま,徐々に下ろし,長さを調節する。
一撃で決める。アルジは駆け出し,応じるように雷掌獣はその身を翻した。
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