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なかなかアルジは口を開かず,沈黙が続いた。目を腫らしたまま,ケライとともに湯気を眺めている。
「飲み物,冷めちゃいますよ」それは話を促すための言葉ではなかった。だがそれに応じるように,アルジが言葉を発する。「ケライが飲んでいいよ」「私は夜は飲みません」「そうなんだ」「はい」「じゃあいただきます」「どうぞ」
アルジは一口飲んだ。「大きな音だった?」「下にいても聞こえるほどでした」「そうか。みんなびっくりしたかな」「何してたんですか」「自分がバカすぎたのが頭に来て,頭をぶつけてた」「ほんとにバカですね」「みんなには黒い虫が出たことにしておいてほしい」「はい」
それからアルジは独り言のように話し始めた。「ほんとはもっと賑やかになるはずだったんだ。いろいろ。ケライの首に巻いてるのは多分ショムさんからもらったものだと思うんだけど」「そうです」「ボッチさんも毛糸で人形を作ってて,それが完成したら,シンキさんにあげるつもりだった。シンキさんがぬいぐるみが好きだから。私はミミさんに報告書を書くための道具を作ってもらってて,それが完成したら,最初に書いたものを渡して読んでもらうつもりだった。ちゃんと私でも文字書けるぞ,それはミミさんのおかげだぞって。でも全部台無しになった」
「どうしてですか」「…クビワが怪我をしたから」「クビワさんが怪我したら台無しなんですか」「そういう明るいことをやっていられるような雰囲気じゃないからね」「人形あげたり,道具で書いた文章を渡すのは明るいことなんですか」「うん」
そうだ。ケライはこんなことでは揺るがない。流されることはない。里でいま恐れを抱いていないのはマッパ,アルジ,そしてケライだけだ。アルジは秘めた計画を明らかにすることにした。
アルジは飲み干した容器を置き,ケライを見て言った。「私はマッパさんの調査についていきたいと思ってる」「はい」「ケライも一緒に来てほしい」「それは私が決めることではありません」「じゃあ許可が出たら来てくれる?」「わかりません」その後ケライはおかわりが要るか聞いてきたので,アルジは礼を言ったうえで断った。
本当はもっとケライと話をしたい。それからいくつか言葉をかわしたが,アルジの思いはケライをすり抜けていくような感じで,考えもまとまらなかった。折角二人きりで話せる機会だったのに,アルジは思っていたことをほとんど話せずに終わってしまった。
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